生駒山宝山寺
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当院の縁起
昭和4年、生駒山宝山寺第16世慧證和上が、昭和天皇より、
朝鮮国京城への生駒山宝山寺別院建立の勅命を賜り、
満州鉄道の後援で、日本国並びに朝鮮国の国家繁栄及び
国体護持の為に歓喜天を祭りました。
昭和天皇の思召しは、インドとの関係を大変重視して、
満州鉄道は、中国を経由させ東アジアの国々を結び、
インドまで繋ぐ予定でした。
その起点である朝鮮国に歓喜天を祭り、インド到達への願いを
込めた次第です。
その時に全真言宗の中から選ばれた醍醐山三宝院の
俊源大阿闍梨が、慧證和上より真言秘伝の継承を許され、
布教師として宝山寺朝鮮別院へ派遣された事から、慧證和上の
付法相承一門が起こりました。
昭和天皇と謁見した際、俊源大阿闍梨が直接、祈願を賜り、
御心を確かめた上で御祈祷を厳修しています。
昭和20年終戦当日、宝山寺朝鮮別院は焼き討ちに遭い、
惜しくも廃寺となりましたが、慧證和上付法の法灯は、
俊源大阿闍梨により守られ、その後、当院が受け継ぎ、
歓喜天等の秘伝を全て継承しています。
当院の法流は、俊源大阿闍梨より慧證和上相承の
醍醐三宝院流正嫡法流の継承を許されました。
慧證和上は、学問、学芸、剣術に秀でた傑僧で、幕末には、
新選組とも縁が深く、江戸時代最後の御室御所の執事長です。
当院の歓喜天は、1997年6月1日、宝山寺天堂に於いて
開眼され、真言宗御室派観蔵院掛川別院に勧請されましたが、
2014年9月に遠縁である観蔵院の住職隠居に伴い、生駒聖天
御分霊所法類寺院として、当院が歓喜天の祭祀を引き継ぐ事と
なりました。
宝山寺本院とは別相伝である生駒聖天党開祖湛海律師の
法灯継承上の関係から、2004年11月、総国分尼寺法華寺
久我高照門跡より、生駒聖天党法華寺相伝の継承を懇願され、
この立会人である富岡八幡宮富岡興永宮司及び氏子総代の
賛同を得て、神仏習合の深川聖天党富岡八幡宮八王子教会
施法院を設立しました。
江戸時代の富岡八幡宮は、「江戸一番の八幡様」として
知られていましたが、湛海律師と深川八幡氏子一同が江戸の
発展と徳川将軍家安泰を祈念して、生駒聖天党と同じ流儀の
深川聖天党を結成しました。
聖天党内には、お供え菓子を専門に作る歓喜團司が設けられ、
将軍家や御三家に生駒聖天党と同じ製法の菓子を献上する
習わしでした。
生駒聖天党の法華寺では、御所に献上する秘伝の菓子があり、
この製法は門外不出の銘菓と言われていたほどです。
出島オランダ商館から取り寄せた白砂糖を使い、日本で初めて、
白砂糖を使った菓子を将軍家に献上したのも深川聖天党の
歓喜團司です。
明治時代の神仏分離令以降は永代寺に移転されましたが、
関東大震災の大火により、深川聖天党も断絶していました。
高照尼門跡より、生駒聖天党法華寺相伝を許されたことから、
関東大震災後、八十一年ぶりに深川聖天党の復興が叶う事と
なりました。
2017年5月、富岡八幡宮の神社本庁離脱に伴い富岡八幡宮
八王子教会は解散、深川聖天党は八王子聖天党として継続し
2024年10月28日から新たな活動を始めました。
生駒山宝山寺本院は、真言律宗の大本山であり、
八王子分院は宝山寺の歓喜天等秘伝継承の為に、
2014年2月1日、開祖湛海律師法類先の教会を合流させ
特異な分院として始まりました。
当初、宝山寺大矢實圓貫主により、歓喜天特別札を授与され、
生駒聖天御分霊として祭りましたが、2015年1月より、観蔵院
掛川別院の生駒聖天御分霊歓喜天尊像を祭り、正式に生駒聖天
御分霊所となりました。
通称は、『八王子の生駒聖天』です。
生駒宝山寺の本尊は、不動明王ですが、当院の本尊は、秘仏の
観音菩薩像です。
本尊観音菩薩の両脇に、不動明王と愛染明王を祭り、鎮守として、
清瀧権現を祭っています。
1999年2月、久修園院道場に於いて、松本實道宝山寺貫主より、
谷口光明西大寺長老と共に、宝山寺開山湛海律師相承の歓喜天
秘密潅頂を授かり、宝山寺の奥伝継承を許され、2004年5月11日、
俊源大阿闍梨より、生駒山修験の座主を継承し生駒山流両部修験
神道の宗家を務めています。
2024年7月から、湛海律師相伝深川聖天党復興の模索を始めて
います。
宝山寺第16世慧證和上相承の生駒山秘伝及び口伝を施法院が
継承している関係上、宝山寺の分院として属していますが、
当院院主は、当山派修験道及び柱源法流を継承し三宝院流の
秘密口伝を継承する関係上、真言宗醍醐派に所属しています。
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